GSEA2023-2024 東京大会開催レポート

今回は、2023年11月28日に渋谷で開催された、GSEA(世界学生起業家アワード)2023-2024 東京大会の様子を紹介します。
次世代のビジョンを持つ学生起業家たちが、自らの才能を試し、事業の未来を切り拓くチャンスを掴み取る大舞台。
今年も6名の学生起業家が出場し、熱い戦いを繰り広げました。
大会に興味ある方や、将来の起業を志す学生の方はぜひ最後までご覧ください!

大会概要

世界学生起業家アワード 東京大会
開催場所:渋谷スクランブルスクエア15F@QWS渋谷
開催日時:11月28日(火)17:00〜21:30

「誰よりも早く、世界と勝負する経営者になる」
そんな野心あふれる学生起業家を輩出するというビジョンのもと開催された、世界学生起業家アワード東京大会。
全国大会への切符3枠を手にするべく、6名の学生起業家が東京大会で競い合いました。

また、本大会を勝ち抜いた3名は、2月17日に開催される世界学生起業家アワード 全国大会に出場予定です。
全国大会の詳細は、EO GSEA公式HP をチェックしてみてください!

出場者紹介

ここからは、東京大会に出場した6名の学生起業家をご紹介します。

①株式会社mairu tech 大村 慧 東京大学

医療・福祉を支えるモビリティインフラの構築をサービスに掲げる株式会社mairu tech 代表取締役 大村慧さん

②株式会社アレスグッド 勝見 仁泰 高千穂大学

企業理念や価値観が合うハイクラス学生と出会えるスカウト型採用プラットフォーム「ETHICAL SHUKATSU」を手掛ける株式会社アレスグッド 代表取締役 勝見仁泰さん

③artics 佐藤 ネルソン テネシー工科大学

さまざまなジャンルの「好き」でつながるSNSアプリの開発を手掛けるartics COO 佐藤 ネルソンさん

④株式会社LacuS 合田 圭佑 明治大学大学院卒

国内初シニア向け完全栄養食ブランド「Me TIME FOODS」を開発した株式会社LacuS COO 合田 圭佑さん

⑤株式会社Emer 板本大輝 武蔵野大学

忙しいスポーツ選手とサポーターを繋げる個人サポーターコミュニティプラットフォームの開発を手掛ける株式会社Emer 代表取締役 板本大輝さん

⑥株式会社Woldy 鈴木翔大 静岡大学

ペットの見守りスマート首輪の製品開発を手掛ける株式会社Woldy 代表取締役 鈴木翔大さん

大会結果

革新的なアイデアと情熱あふれる学生起業家たちが競い合い、とてもハイレベルな戦いとなりました。
注目の大会結果は以下の通りです!

1位 株式会社アレスグット 勝見  仁泰さん

2位 artics 佐藤 ネルソンさん

3位 株式会社mairu tech 大村 慧さん

学生起業家の皆様お疲れ様でした。
そして上位3名に選ばれた学生起業家の皆様おめでとうございます!

全国大会での彼らの活躍に目が離せませんね。
各地の予選を勝ち抜いた学生起業家の皆さんで行われる2024年2月17日の日本大会も乞うご期待です!

優勝者の声

株式会社アレスグット 代表取締役 勝見  仁泰さん

Q. この大会を通して得られたものを教えてください
この大会では、異業種の起業家たちとの深い交流を通じて、新たなビジネスのヒントと革新的なアイデアを得ることができました。
共有された経験と知識は、私の事業をさらに前進させる貴重な糧となりました。

Q. 全国大会への意気込みをお願いします
全国大会では、日本各地から集まる熱意あふれる起業家たちと切磋琢磨し、我々のビジョンと情熱を共有します。
この機会を通じて、更なる事業拡大と社会への貢献を目指し、全力を尽くします。

Q. 全国大会後のビジョンを教えてください
大会後は、得られたインサイトとコネクションを活かし、事業を国内外で拡大し、より多くの価値を創造していきます。
また、EOメンバーとしての経験を生かし、次世代の起業家たちへの支援と指導にも力を注いでいきたいです。

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【株式会社Senjin Holdings 代表取締役 下山 明彦さん】どういう人生を送りたいかを考え、選んだのが起業家

東大進学、休学してインドへ瞑想修行、そして起業

―下山さんはメディアとかでも、超学生起業家みたいに言われることがあると思うのですが、どういった背景で起業に至ったのか教えてください。(近藤)

はじめまして、下山です。僕は今27歳で、起業家兼アーティストとして活動しています。東大生の時に立ち上げた仮想通貨に関する企業は上場企業に売却して、その後は藝大に行きました。今は、慶應の博士課程にいます。だから、まだ学生ではあるんです。

得意なのは、デジタルマーケティング、パーパス経営の役に立つ「アートを介した対話型ワークショップ」です。ワークショップは、経産省でもやっていて、大臣室には官僚の方々のアイデアを基に僕たちが制作したアート作品を展示してもらっていたりします。

他にも色々仕掛けていますが、そんな僕が起業したのは大学2年生の時です。
広島出身なんですけど、東大入るタイミングで、トップ層しか行かないような団体とかゼミとか、全部入ろうと思っていたんです。なので高2の終わりには東大の合格点を取れるようにしておいて、そこから部活を立ち上げて全国大会に出たり、ビジコンで入賞したりといった実績を積むようにしていました。

例えば同期に芦屋市の高島市長もいるんですが、彼は政治に行くし、他の人は官僚や国際機関で働くとかを目指す人とかがいて、でも自分は組織でトップ目指すみたいのはやりたくなくて、みんながどう進路を選択するかを見るためにも、一回休学するかって思って休学したんです。
それで、一年生が終わったタイミングでインドに瞑想修行に行きました。
そのタイミングで親から仕送り止められて…(笑)

それで生活費とか学費稼ぐかってなって、賞金稼ぐためにビジコンや投資コンテスト、小説や写真のコンテストで、賞金をゲットして、それを元手に、株や仮想通貨のトレードをしていたんです。その時に「オレ、めっちゃトレード勝てるな!」と思って、勝てる仕組みをつくれるんじゃないかって思ったんです。
その当時は、海外の情報を翻訳してみて分析するぐらいしか方法がなくて、でも、これ絶対に来るなっていうのもちょっとわかってたから、ビジネスチャンスなんじゃないかって思ったんです。
そうすると、メディアが絶対に必要だから、株式における四季報みたいなものの仮想通貨版が絶対に必要になってくるなと思ってそれを作ろうって思ったんです。
これが最初の起業のきっかけです。

―会社をどうしていきたいっていうのは最初からあったんですか?(近藤)

最初は、数年でM&Aさせるところまで決めてはじめたんです。
2年とか3年で上場することは構造上できないので、数年でM&Aして、ということは決めていました。それがいいことか悪いことかはわかんなかったけど、起業するときってどうなるかなんてわかんないじゃないですか。
僕は、人間としてどういう人生を送っていきたいっていうのが先にあって、手段としての起業家があると思ってます。目的をどう設定するかってスゴく大事なんだけど、意外とみんな考えてなくて、「起業の科学」はあるんだけど「起業家の科学」がないなって思うんです。

―仮想通貨のメディアをつくって売却して、今はマーケティングやアートコンサルの会社をやっていると思うのですが、今まで一番大変だったこと、嬉しかったことを教えてください。(近藤)

大変だったことは…普通に殺害予告とかきて…今は笑い話なんだけど(笑)
仮想通貨の投資メディアで、最初の頃は仮想通貨の詐欺を検証する記事をやったんです。そうすると、裏で危ない人達がいたんだと思うんだけど、問い合わせフォームとかにそういう殺害予告がきて…夜なんて背後を気にしながら歩いてました。
最後は、自分達とは関係なく普通に詐欺で逮捕されちゃってましたけどね。(笑)

―怖いもの見たさというか、学生ならではかもですね。(近藤)

嬉しかったことは、すごくたくさんあります。仮想通貨のメディアを売却した時に、お金は入ったんだけどそれは本質的な嬉しさではなくて、それまで一緒にやってきた人達と、慰安旅行をやったんです。お世話になった先輩とかインターン生とか200人くらい呼んで、売却っていう区切りはついたけど次はこういうチャレンジをしていきますみたいのを各々が喋ったんです。
あそこでちゃんとみんなで集まってやったのはよかったなぁって思ってます。

生まれ変わったら子供のうちに起業する、早く始める方がいい

―今は絵を描いたりしてますよね、これからのビジョンを教えてください。(近藤)

まず、絵を書いてるんじゃなくて、一万年くらい残るものを作りたいなーと思ってるんですよね。そもそもの人生におけるビジョンで言うと、まず前提として不老不死を考えているんです。だから僕の目標ってめちゃくちゃ長期なんです。

人類がずっと大切にしてきた、美しさを追求するということに向き合おうと思ったんです。

事業と作品を両方作りながら未来について考えたり、「こういう世界だと絶対面白いでしょ!」というのを実現していきたいなと思い、東京藝大を受けたんです。

今までいろんな事業を作ってきて、成功したり失敗したり(成功は少なく、失敗は多い)を繰り返してきたのですが、やっぱり資本主義の流れに乗せることでできることは大きい。一方で、だからこそ出来ないこともたくさんあるな、とも。

ヨーゼフボイスというアーティストが提唱するコンセプトに「社会彫刻」というものがあります。

雑に説明すると、「芸術こそ進化にとっての唯一の可能性で、人間みんなアーティストだし社会を変革することができる存在。その中で拡張された芸術概念として、アートや政治、ビジネスや学問など様々な分野で社会を彫刻していこうぜ」という話で。

僕自身も社会を自分が望む在り方として彫刻するために起業したし、今も事業を作っています。

一方で、その限界もあります。例えば、5年前から投資家として、経済学を学ぶ学生として触ってきた仮想通貨。その技術が創り出すであろう未来を確信し、CoinOtakuを立ち上げ、国内の仮想通貨投資の発展に少なからず寄与した自負はあります。

でも、僕が当時夢想した世界観に到達するまでにかかる時間は思った以上に長かったし、僕自身も未熟だった。

まだ決済にbitcoinが使われるようにはなっていないし、クリプト系のゲームがヒットしているわけでもない。

魔王を倒してもらえるアイテムを日本円に替えて生活していける世界、「ゲームばっかりしないで現実を見なさい!」と親から言われない世界には、まだまだ到達していないわけです。

一方で、その世界を想像させることはできる。

そのポテンシャルを秘めているのが、アートであり、デザインなんです。

基本的なビジネスや商業的なデザインは、Probableな未来の領域を念頭に作られています。


一方で、もっと現実離れしたPlausibleな未来やProbableな未来を思索し、今とは違う政治や経済の未来を想定することによって初めてPreferableな未来、あるべき社会を措定できるのではないか、ということです。

デザインやアートは、多かれ少なかれ未来に目を向けるものです。
そして良くも悪くも、ビジネスと比べ資本主義に結びつく必然性が薄い。

だからこそ、現実からぶっ飛ばした未来予想図から、改めて現在の写像を創り出すことができるのではないか。

そしてその未来と現在の中点に事業を作れば、今の僕の力では成し得ない、アートでもビジネスでもギリギリ届かない新しい形の社会彫刻ができるのではないかという仮説です。

そこで、今は自分の事業だけでなく、大手企業や省庁、自治体の未来をテーマに作品を制作したりしています。そこから組織開発をしたり、新規事業開発をしたりすることもあります。

冒頭でもお話ししたように、直近だと経済産業省をクライアントに研修や作品制作を行いました。大臣室にも作品を飾ってもらっています。

そして、次のクライアントはASEANなんです。ASEAN各国のリーダーが集うサミットに招聘されていて、そこで政策提言を行います。ここでも主催者の方々に興味を持っていただいて、作品制作やワークショップを実施させてもらうことになりました。

こうやって、より大きな価値を出せる共同体と、ビジネスやアートを通して世界を加速させ続けていきたいですね。

―最後に、学生起業家についてですが、起業は早いほうがよいと思いますか?(近藤)

僕は結構、運がよかったと思っていて、自分で頑張ったのもあるけど、どんなに優秀でもうまくいくのは数十人のうち数人で、統計的に考えれば合理的ではないって思います(笑)
ただ、面白いなって思ったことがあって、40歳から起業した人の方が成功率が高いって記事に、20代で起業した人の成功確率が0.1%、40代で起業した人の成功確率が0.2%ってあったんですよね。誤差じゃない?って思って(笑)
0.1%の確率を上げるために20年修行するとか、僕には絶対できないなって。

もし僕が生まれ変わったら、4歳くらいで起業すると思いますし、作品つくってると思います(笑)やりたいことはすぐやった方がいいですね。

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【IVA株式会社 代表取締役社長 相原 嘉夫さん】AIカンパニーだけど人が競争優位

誰も解決できていない問題を解決したいと思って起業

―メルカリから調達を受けて、初めて知った方も多いと思うのですが、簡単に事業内容や今までの歴史を教えてもらえますか?(近藤)

会社を始めたのが2019年で、今5期目になります。

大学の時から漠然と何かやりたいみたいなことは考えていたのですが、やれることもないし能力的にも何かこれが得意みたいなものもなかったんです。

当時、スニーカー市場がめちゃめちゃ大きくて、年間にグローバルで5倍、5倍のペースで拡大していて、それに伴って偽物がいっぱい出ていたんですね。

その時に、 偽物の問題って昔からあるけど、誰も解決できてないことに気づきました。

それについて共同創業者のCOOと話をしている中で、鑑定士を見つけてきたんです。ただ、一人の鑑定士に全て任せてしまうのは不安じゃないかということで、鑑定士を複数人に増やしました。

そしたら管理がすごく大変で。これはきっと、同じ課題を抱えている人がたくさんいるなと思い、スグに登記してサービスを始めました。

その頃、スニダン(スニーカーダンク)がローンチしたタイミングで、2ヶ月後くらいに提携をしました。彼らのトランザクションが伸びるのと一緒に自分達も伸びていったという感じです。

―スニダンが大きくなるタイミングでどんどん大きくなっていって、途中でAIもリリースしていますよね?(近藤)

全てを人がやると、どうしても労働集約型になるのでスケーラビリティはどうするんだという課題が生じます。 じゃあもうAIを作ろうかということで、本格的に稼働したタイミングで、めちゃくちゃいい時期にChatGPTが出てきたんです。

ただサービスとしてはAIに全部頼っているわけではなく、AIと人の両輪でやっているんですが、会社としては「AIカンパニー」という見せ方になってきていると思います。

―元々、大学生の頃も起業していたんですか?(近藤)

大学2年生の時に1社目をつくって、その過程で今のCOOに出会っているんです。

最初は、アメリカや中国からスニーカーを買い付けてほしいという依頼があり、元々僕も中国語が喋れたのとCOOが中国人だったことがあり、、そこから事業をはじめました。

ただ扱う金額が大きい分、「これが偽物だったらやばいな」ってなるじゃないですか。それで鑑定士を入れて、複数人にして・・・と、今の事業に繋がっていくんです。

以前の事業は在庫リスクもあって、利益率が悪いのでうまいビジネスではないと感じていて、無形商材でやりたいとずっと考えていたんです。そこで1社目は売って、そのあとにフェイクバスターズを始めました。

―いつ頃から起業を意識していたんですか?(近藤)

もともとはスタートアップ的な動きをしようとは思っていなくて、普通にお金を稼ぐことを考えていたんです。親が会社をやっていたのをずっと見ていたので、人の会社で働く姿って想像できなかったんですよね。

早く動いた人だけが失敗も成功も出来る

―1社目からはじめて7年〜8年経ってみて、苦労したエピソードや良かったエピソードを教えてもらえますか?(近藤)

あまり苦労したって思うことはないんですけど、強いていえば、スニダンが急速に伸びていく中でずっと一緒にやってきたんだけど、ある時に「今後は内製化も進めていこうと思います。」という流れになって、トランザクションが急速に減っていったんです。

それは辛かったけど、結果的にそれで尻に火がついて死に物狂いで働いて新しいことを始めて、それが結果的に実を結びました。

スニダンの一強体制からの脱却を意識したのがそのタイミングですね。

あのレベルで大きいマーケットプレイスは何個もありません。スニダンはソフトバンクから出資を受けていたので、今回たまたまメルカリに繋がって興味を持っていただけたのは本当に嬉しかったです。

今回、出資のリリースも出せることになり、それがかなり異例のことらしいので、本当にありがたかったです。

―今後はAIの領域でどのような展望を描いているんですか?(近藤)

世の中には、スニーカーやバッグだけじゃなくて、薬とか化粧品とかの偽物もたくさん出回っているんです。

そういうものを含めて全部、鑑定できるだろうと思っています。

もちろんAIにも力を入れるんですが、実はうちは人が競争優位になっているんです。

有名な鑑定士が所属していて高い給料も出せるので、優秀な人材が集まって高い精度が出せています。

今後は、特定の領域ではBPOに徹しながら、M&Aなども含めてグローバルで自分たちのマーケットプレイスをつくりたいと思っています。

―学生起業家のメリット、デメリットを聞いているのですがどう考えていますか?(近藤)

僕はメリットが圧倒的に多くて、若ければ若いほどいいと思っています。

今、28歳で新しく何かをやろうとなったら、やっぱり一歩目が一番重たいんです。

だから失敗してもやり直せる、失うものがなにもない学生は一番強いと思います。

荒いものをつくって、ぶつかりながら揉まれてだんだん洗練されていく過程は、早いに越したことはないと思います。

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【株式会社アイデミー 代表取締役 執行役員 社長 石川 聡彦さん】留学するように起業する、ってことがあってもいい

最初の失敗が今の事業の成功に繋がっている

―石川さんの今までの軌跡と学生起業家についての意見を教えてもらいたいと思っています。まずは学生の頃に起業した今までの軌跡を教えてもらえますか?(近藤)

大学3年生の時に起業して、大学院を中退して今に至っています。

元々は東大の文科三類に入って、学校の教師になりたかったんです。先生になりたいって思いと、起業家になりたいっていう思いが2つ混じっていて、教職に必要な授業を取りつつ、起業家が集まるようなサークルにはいったりビジネスコンテストに出たりしていました。

学校の先生も素晴らしい職業だと思うんですけど、マーク・ザッカーバーグのような学生起業家が、世界を変えるようなアプリケーションを作っていった時代だったので、徐々に起業家として生きることの方が魅力的に思えてきていました。

大学3年の時に、ビジネスコンテストで優勝して起業したのですが、それがいい意味での勘違いだったのかもしれないです。

起業したタイミングで一年間休学したのですがあまり上手くいかず、起業を続けるか就職するか迷っていました。復学して、BCGなどのコンサル、起業家の多いリクルートやサイバーエージェントのインターンに参加して、内定が出たらいいなと思っていたんですが、全く出ず、厳しいかもしれないって思ったのが大学4年生です。

その頃は、今のアイデミーとは全く関係ない会社を経営していて、弁当デリバリーとかをやっていました。

そんなときにAIというテクノロジーに触れて、これは面白いなと思い、AIの事業なら投資するって言ってくれる投資家がいたので、大学院1年生の時に投資を受けてアイデミーをはじめました。

24歳の時にアイデミーを始めて、そこからは割とトントン拍子で、というと語弊がありますけど、ビジネスがグロースしてそのタイミングで、大学院も中退でいいよねってなったのが僕の経歴です。

―アイデミーをはじめてから、ピボットとかもしていないんですか?(近藤)

最初は学生向けにAIに学べるサービスでやっていたのですが、今は社会人向けが8割で、社会人向け法人向けにピボットしています。今は教育ビジネスより、コンサルティングに軸足を移しているという意味では、常にピボットしていると言えるかもしれないです。

以前は全然違う弁当のデリバリーをしていたりしたので、そういう意味ではトラベリングはなくなって、AIという枠の中で色々変えているっていう感じです。

―2017年から今までの6、7年を振り返って、ツラかったこと、良かったことそれぞれのエピソードを教えて貰ってもいいですか?(近藤)

辛かったことを聞かれると困るんですが、そういった記憶があまり残っていないんですよね。(笑)

良かったことは、やっぱり上場したことでしょうか。

中学3年生の時に、社会科見学で東証に行ったんですけど、その当時から起業したいみたいのがあったのかもしれません。15年後にその場所で、自分の会社の名前が出て、主役として立っているなんて思っていなかった訳です。

そういう意味で、夢の実現とか苦労が報われた感動がありました。

自分も嬉しかったけど、社員や取引先の方も喜んでくれて、上場ってみんなが結婚式の主役みたいになれるんですよね。

結婚式の何十倍も楽しいですよね、結婚式も楽しいですけど(笑)

あとは、創業当初にフォーカスすると、僕たちのお客さんって製造業の人が多くて、お客様のところへ行くと、「アイデミーのサービスいいよ」とか「AIのサービスいいね」って言ってくれる瞬間はすごく楽しかったです。

学生で起業して、自分のサービスが世の中に受け入れられるかは分からず、3年間の失敗経験もあったから、また失敗するかもしれないという不安の中でそういった声をいただけたことは、本当にうれしかったです。

特に最初の10社の中に、空調メーカーのダイキン工業さんがいて、それがきっかけになって「ダイキンが使っているなら、うちでも使ってみよう」っていうお客様がいて、そういう作り手の感動はビジネスの醍醐味だと思います。

辛かったことで言えば、やっぱり社員が辞める瞬間がツラかったです。

特に創業当初は、いつも涙が流れるぐらいツラくて…会社が理由で辞める部分もあるし、本人のキャリア志向で辞める場合もあって、今になればアンコントローラブルだからそんなに落ち込まなくてもよかったなって思っています。

でも最初の5人、6人の時は、無力感みたいなものもあって、引き止めづらい部分もあったので寂しさとか力不足を感じたりしました。

自分が孫正義だったら辞めないだろうな、って思っていたんですが、逆に孫正義だったら辞めるかもしれないって気付いてから泣くことはなくなりました(笑)

若いうちだから後戻りができる、それが学生起業のメリット

―学生起業家のメリット、デメリットを教えてください!(近藤)

僕は二足の草鞋を履いて起業したので、それをおすすめしたいです。

起業して休学しても後戻りできるし、今は新卒就職にもほぼ影響がないって聞いています。

リスクフリーで挑戦できることは学生のメリットだと思います。30歳過ぎて子供がいて…とか、借金1,000万の個人保証で…ってなったらなかなか踏ん切りがつかないこともあるし、ITなんかの領域だったら投資も少なく挑戦もできると思います。

デメリットはあまり感じませんが、採用面やBtoBビジネスがやりにくいっていうのはあるかもしれませんね。

僕たちの場合は法人営業やBtoBビジネスに詳しい人にジョインしてもらうことで知識が足りない部分をカバーできたんですが、やっぱり少し時間がかかったと思っています。

―最後に、学生起業家に一言エールをお願いします!(近藤)

今はチャンスなので、学生起業家こそBtoBで起業したらいいって思っています。

以前より大企業がどんどんスタートアップや中小企業に発注してくれるようになっていて、これは10年前では考えられなかったことです。

生成AIとかweb3は旬なキーワードですが、そういった前例のない技術テーマはそもそも詳しい人がいないので、キャッチアップ能力が高い、学生も含めた若手の方が、いい提案をしやすい構造になっていると思います。
大企業もそういった先端テクノロジーの開発案件や提案っていうのを待ってるので、スピード感をもってキャッチアップして、大企業のバジェットを取っていくみたいな戦い方も、昔より可能性が広がっているんじゃないでしょうか。

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【株式会社Unito 近藤佑太朗さん】仕事を楽しめれば、人生が楽しくなる

大切な仲間が集って成長していくのが何よりの楽しみ

―はじめに、事業内容と起業のきっかけを教えてください。

起業のきっかけは、小学4年生の時に「二分の一成人式」というイベントです。

イベントのなかで、クラスのみんなに将来の目標を発表する機会があり、経営者だった祖父にインタビューをさせてもらいました。

そこで、経営者って面白い!仕事を楽しめば人生が楽しくなるんだ!ということをはじめて知り、そこから起業を意識するようになりました。

そこから時が経ち、今度は大学生の頃、機会に恵まれてAirbnbの初期の頃を間近でみることが出来ました。Airbnbが新しい市場を作っていく過程を見ることができてとても感動したことがさらに起業への思いを押し上げました。

そして、大学3年生の時に起業をしました。

今やっているユニット(株式会社unito)という会社は、家賃のイノベーションを起こすスタートアップで、新しい暮らしを世の中に広めるべく、サービスアパートメントや民泊、ホテルを自ら運営しつつ、短中期滞在者向けのお部屋探しプラットフォームをやっています。

―具体的にはどれくらいの利用や流通総額があるか教えてもらえますか?

ユニットをリリースしてから、丸3年ぐらい経って、4年目のサービスになりました。流通総額で言うと、月1億円を超えて、倍々で伸びています。前期5億円だったのが、今期は13億ぐらいの年間売上高になっています。

ユーザー数は、昨年の会員登録数が約2万人だったのが、今年は約5万人で、これも倍々で増えています。月間の利用者は、毎月4,500人から5,000人くらいのサービスになっています。

―起業してから、一番よかったことのエピソードを教えてもらえますか?

エピソードというよりも、僕の場合は一緒に働く今の社員や業務委託のメンバーが、大切な仲間になっていてアベンジャーズみたいになっているんです。

「近藤アベンジャーズ」みたいな(笑)

そんな仲間と一緒に働けることが、毎日良かったなと感じているところです。

それぞれ友達ではなかったんですけど、僕と繋がってくれてどんどんジョインしてくれていて、うちの会社はリファラル率が70パーセントを超えていて、それがめちゃくちゃ楽しいって感じています。

僕自身は、定期的に友達とコミュニケーションを取るタイプなのですが、その中で自分自身や会社の進捗共有をすることで、その時のフェーズで得意な分野の方を紹介してもらったり、一緒にやっていこうという話が出たり、それぞれのタイミングで新しい繋がりができたり、道が開ける瞬間があります。常にいろんな人とコミュニケーションを取ることは、単純に会いたい、集まりたいという思いはありつつ、意識的にしている部分もあります。

自分は運がいい!と思えば、大変なことも乗り越えられる

―事業も面白いですし、近藤さんの人柄も大きいですよね!取締役は大学時代の友人でしたよね?

そうです、僕が学生の頃につくった学生団体の創設メンバーで10年来の友人です。その取締役も友達を呼ぶんです(笑)

彼は、前職の知り合いなども含むと7,8人呼んでいて、僕だけじゃなくて会社としてそういう空気感が出来ているのだと思います。

リファラルで仲間にしていこうという空気感を作れていて、それはスゴくいいなって思っています。

今後はフェーズが大きくなるにつれて、外部の専門家をいれたりすると思いますが、ずっと続けていきたいカルチャーですね。

―逆に起業をして、これは大変とか苦労したというエピソードはありますか?

大変だったことは多くあります。資金調達の苦しさはもちろん、初期メンバーが辞めてしまうとか、業務提携が突然なくなってしまうとか、毎月のように、下手したら毎週のようにあるんですが、僕はあまり大変だと感じない性格なんです。

少し話はずれますが、僕は小さな頃にルーマニアで育ったんです。

ルーマニアで育つ日本人って、歴史上に30人くらいしかいないんじゃないかって思っています(笑)

当時のルーマニアはストリートチルドレンがたくさんいる場所で、そんななかで、日本人ってすごく恵まれてるなって感じたり、いい両親の元に生まれたなと感じたり、「運がいいな」って感じるシーンが数多くありました。その後も、友達に恵まれているなと感じたり、経営者の祖父だったり親戚にも恵まれているなだったり、「自分は運がいい」という思いを経験によって積み重ねてきました。

だから大変なことが起きても「こんなに運がいいのなら毎回諦めないでチャレンジしていこう」って思えるんです。

GSEAは世界を目指す学生に参加してもらいたい!

―いま、GSEAを運営される立場ですが、イベントの意気込みを教えてもらえますか?

僕は2018年の時に出場者として参加して2位になったんですが、その後「EO」というコミュニティの力がに驚かされました。

「EO」がきっかけになって出資や支援もしてもらい僕としてもユニットとしても今があるのですが、これを学生だけではなく、若手起業家に広めたいって強く思っています。「EO」にいる、創業経営者の皆さんはすごく忙しいはずなのに、若手起業家のためならって、すごく時間を使ってくれるのです。

「誰よりも早く世界と勝負する経営者になる」っていうのが今回のコピーなんですが、世界を見る学生起業家をどんどん掘り出していきたいなって思っています。

―最後に、学生起業家に向けた応援メッセージをお願いします!

僕もそうでしたが、学生起業家っていい意味でも悪い意味でも世間知らずだと思います。

今思えば恥ずかしいようなコミュニケーション取ったり、礼儀がなってなかったりとか(笑)

でも、世間知らずのいい意味としては、実はスタートアップ企業にとってはとても世間知らずなことが有利になると思っています。どんどん生意気さを出して、GSEAを踏み台にして成長してもらえたら嬉しいなって思います。

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【ネクステージグループホールディングス株式会社 丹野直人さん】自分が苦労した経験を社会に活かすための起業

人生が転落した時にも助けてくれた友人がいた

―過去に、バーをされていて失敗したことがあるとお聞きしましたが、そこからネクステージを創業されるまでの経緯を教えて頂けますか?(近藤)

元々は歯科技工士の専門学校を卒業して、親の跡を継ぐ予定だったのですが、歯科技工士の仕事がつまらなくて3ヶ月くらいで辞めてしまったのです。

その後は、フリーターをしていたのですが、学生の頃にバイトをしていたバーで雇われ社長をして、それが初めての事業経験です。

一年くらい経った時に、オーナーが他の事業で失敗して逃げてしまい、連帯保証人になっていたので借金が残ってしまったのです。

僕がつくった借金ではなかったのですが、付いてきてくれた部下もいたので消費者金融から自分の生活費も含めて借りて、そこから僕の人生がドーンって転落していくことになりました。

その後に、父の会社も不渡手形を掴まされて、自己破産することになって両親が離婚して、戻る場所もなくなってしまったのです。

それで死ぬことまで考えたんですが、色々なきっかけがあってもう一回やり直そうって思い、母や友人の助けもあって板橋区の汚いアパートに住んでそこからなんとか全部借金を返すことができたのです。

借金を返し終わった後に、改めて就活をしました。

―すごい話ですね!就活はどのような感じだったのですか?(近藤)

就活をしたんですがどこも受からなくて、学歴も職歴もなくて、希望もなくなっちゃって、僕は借金を返したらバラ色の未来が待っているんじゃないかって思ってたんだけど、全然そんなことはありませんでした。

数ヶ月して、食べるためにバイトに戻るしかなくなって、その時にたまたまバーを経営していたときのお客さんに再会して、「そんな経験したんなら、自分で会社をやったらどうか」って勧められたのです。

その人はコンサル会社の人だったのですが、学歴や職歴じゃなくて今までの経験を社会に活かしたほうがいいのではないかって勧められて、中小企業診断士の事務所を紹介してもらい勉強させてもらいました。

そこから今の会社を26歳の時に立ち上げることなりました。

失敗の経験から学ぶことがたくさんある

―具体的にはどのような仕事をはじめられたのですか?(近藤)

中小企業診断士事務所にいたので、経営に困った会社さんにお手伝いできないかと思って独立したんですが全然食えなくて、その後で集客のこと考えてなかったなって気付きました。

僕は頭が悪いので、やってみて気づくんですよ、もっと集客を大事にしなくてはだめだって。

その頃は、インターネットの草創期で、自分達もマネをするような形でマッチングメディアを立ち上げてリスティングを回したりしていました。

結果として集客のノウハウが身につけられた事が大きくなっていくきっかけです。

―会社をやっていてよかった経験や逆に大変だったこと、うまく解決できたこととかを教えてもらえますか?(近藤)

嬉しかったこととツラかったことが、同じ出来事なんです。

10年くらい前に最大の売掛先で入金の遅延があり、1ヶ月遅れて、2ヶ月遅れてってなって、結局半年ぐらい遅れて回収は出来たのですが、めちゃくちゃ大変な思いをしてなんとか回収できたってことがありました。

うちの経営幹部には、僕がバーで働いていた時のメンバーや前職の仲間が数名いるんですけど、「もしかしたら資金ショートで会社が潰れるかもしれない」って相談した時に、「潰れても、またゼロからやり直せばいいじゃないですか!」って言ってくれたんです。

後にも先にもあの時が一番嬉しかったですね。

「またゼロからやればいい、何でも出来ますよ」って、会社が潰れたら社員もついてこなくなると思ってたから、それがスゴく嬉しかったと同時にツラかったですね。

だからそんなことを言ってくれる仲間が本当にありがたいなって思いました。

―いい話ですね!どれくらいの金額だったのですか?(近藤)

1億ちょっとです。

その経験から、取引先のバランスや自分達がイニシアチブを取らなきゃいけないとか、自分でサービスをつくらなくてはいけないとか、気付きや学んだこともたくさんありました。

やりたいと思ったらやるのが起業家、なにもビビる必要はない

―若い頃から事業経営を経験されていますが、学生起業家のメリット・デメリット、若くして起業するということはどう思われますか?(近藤)

以前とは環境が違いますけど、一長一短があると思います。

早いうちにうまく行き過ぎてしまうと、因果応報じゃないけど後で大変なこともありますし、最初からうまくいかない人こそ強いのかなって思います。

でも何もしないで思考停止しているような人と比べれば雲泥の差だし、早く学生起業をするならした方がいいと思います。

起業って異質だけど、自分のレベルを知るってことも必要じゃないかと思っています。

一長一短なので、どちらがいいとは言えませんが、起業したければ早くすればいいって思います(笑)

―学生起業家に向けて、大先輩からエールを頂けますか?(近藤)

僕の場合は、結果論として起業せざるを得なかったから起業しただけなんです。

振り返れば、起業したほうがいいのは間違いないと思っています。

起業することで、人生の成功確率が高くなると思うのです。

昭和の戦後の頃ってみんな個人商店ばかりで、それが段々と企業に勤めるのが当たり前になってきているので、自分で何かをするのは一番気付きが多くて成長度合いが高いって言えます。

自分でやるから内省するし、だから自分でやった方がいいと思うのですが、タイミングは人によって違うんじゃないかって思います。

僕は借金まみれだったけど、なんとか生きてくることができたし、その経験があったから今があるので、なにもビビる必要はなくて、学生から起業したいっていう人は素晴らしいと思います。

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【株式会社M&Aクラウド 代表取締役CEO 及川厚博さん】自分の生きる軸として選んだ起業家

学歴のコンプレックスと18歳で決めた起業家の道

―なぜ学生起業をしようと思ったのか、教えてもらえますか?(近藤)

21歳の時に起業をしました。3年生…いや4年生の5月かな?
昔から「歴史に名を残したい!」というのが、生きる軸みたいなものになっていて、高校では空手でインターハイにも出ました。

スポーツの名門だったから、死ぬほど頑張ったけどスポーツは結果に対して、
結果 = 才能 ✕ やり方 ✕ 努力みたいな方程式になると思うんだけど、その時に「スポーツは結果に対して才能の占める割合多くない?」みたいに感じて引退して、部活にずっと集中していてあまり勉強もしてこなかったので第一志望には受かることが出来ず、東洋大学に入りました。

18歳の時には政治家か起業家の道に進もうって思ったんだけど、政治家は血筋が大事だとわかって、18歳で起業家になろうって決めていました。

―なるほど、じゃあ大学1年生の頃から、起業家になるための逆算思考だったんですね?(近藤)

18歳の時に、大学のキャリアセミナーに行ってみたら人生の計画を書かされたんです。その時に、大学生の時に会計士を取って、監査法人に入って、コンサルに行って、30歳で起業って書いたんです。
受験とか学歴コンプレックスもあったから、わかりやすく会計士の資格とかを取ろうと考えていました。(笑)
でも、簿記一級は取ったんだけど会計士は落ちちゃったんで、一回就活しようかって思って就活したら、大手コンサルに受かったんです。

―就活もしたんですね!(近藤)

メチャクチャ就活して、メチャクチャ落ちました。
2011年って、震災があったり不況だったんだけど、大学3年の2月にコンサルに前倒しで受かったから、「あれ、起業も前倒しでできるんじゃないか」って思ったんです。
入社まで一年ちょっと時間があるから、起業サークルに入って、起業プランがあったから、エンジニアのやつを捕まえて、やろうぜ!と。
大学4年の5月かな?個人事業主登録して、やってみたんです。
最初は学生向けのmixi(ミクシィ)とか、LinkedInみたいな意識の高いものを作りたいと思ってました。

―会社は調子良かったんですか?(近藤)

全然ダメダメ(笑)
10月1日の内定式の直前で悩んだんですが、最終的に内定辞退しました。

就職よりもチャレンジを選んで起業

―某コンサルティング会社に行こうとしていたんですか?(近藤)

そうそう、東洋から某コンサルティング会社はスゴいんですよ。同期の中では珍しい。
結局、スポーツで考えた時、同期ナンバーワンで早めにレギュラーとったやつがいい試合出て、勝ちやすいってのがあるから、起業するんだったら、会社でも同期ナンバーワン取って、辞める時に仲間集めて起業したいじゃないですか。
ナンバーワンとかじゃないと付いてこないと思うんですよね。

でもコンサルティングってわりと出身校の繋がりも大切じゃないですか。
就活は結果的に、自分の実力から見たら大成功したんだけど、コンサルティング会社に入って起業しようと思った時に、実は分が悪いんじゃないかって思ったんです。
それであれば、学生起業してアップサイド取りに行く方がいいんじゃないかと思ったんですよね。
それで、内定を辞退して起業したんだけど、一旦リスクヘッジのために休学して、親父にも結果でなければもう一回就活しますと約束しました。

その後、フェイスブックページを制作する仕事を始めたり、学生インターンを集めてレンタルスペース事業を始めたり、エンジニアもたくさん集めて、海外でのオフショア開発事業にも挑戦しました。
それで24歳の時に、売上で4億、利益4000万、社員30名チョットみたいな会社になっていました。

―これまでの起業家人生十年、一番よかったことと言える範囲の一番大変だったことのエピソードを教えてもらえますか?(近藤)

いろいろありましたけど、よかったことのほうが思いつかないものですよね。(笑)

M&Aクラウドでいうと、自分がCEOになって、社員50人くらいまでは垂直で伸びていきました。
M&Aのプラットフォームなんで、M&Aがわかっていて、プロダクトもわかってみたいに、結構広い知識がないとできないんですよね。
当時は自分しかできないっていう思い込みがずっとあって、プレイングもしていたんです。
その中で「オレが決めたらこう」っていう感じのマネジメントを、スピード優先だし、結構やっていきました。
ただそうすると、経営のレポーティングは最小限になって自分以外の経営陣からみると、情報が見えにくいし、その中で伸び率が落ちてくると任せてらんないってなっちゃって…それがツラかったですね。

そこで事業から外れて、コーポレートサイドをやるようになったんですが、経営メンバーをシャッフルしたことによってお互い見える情報が変わったから、経営が回るようになっていきました。ゼロイチの時は、プラットフォームとして垂直に伸びるまでトップダウンでやるっていうのは多分良かったんだけど、それをやりすぎてしまったばっかりに、うまくいかなかったと今は考えています。

本気でやったからこそ気付けたことがたくさんある

―今回、学生起業家ってのがテーマなんですけど
学生から起業すべきかってどう思いますか?(近藤)

学生起業の良さは、多分、時間じゃないですか?圧倒的に。
そこのメリットを活かすというか、トライ・アンド・エラーができるっていうのは大きいですよね。個人的には、M&A屋さんなので、一回売ってもう一回やればいいと思ってます。

―そういう風に言う人もいますね。二回目が勝負だ、みたいな。(近藤)

起業家は市場選定スキルってすごい大事じゃないですか。市場選びとタイミングで、その会社のポテンシャルが決まったりするじゃないですか。学生起業家は時間もあるし、トライ・アンド・エラーもできて、リスクも少ないからやってもいいんだけど、そもそものスキルセットがまだ追いついていない。
特に市場選定って最もレバレッジかかるけど、市場は一回目の起業で、一番レベルが低いタイミングで決めないといけないし、大きく変えられないですよね。

だからベストプラクティスとして、一回売ってそれを学びにして2回目のチャレンジをするっていうのが合理的じゃないかと思ってます。

今の学生起業家に向けた応援メッセージ、激励の言葉はありますか?(近藤)

激励の言葉?起業しろ、って感じかな(笑)

起業家はよく原体験とか聞かれることもあるけど、自分の場合、学生起業した時に原体験とかはなくて、歴史に名を残したいっていうか、ただただ「想い先行」っていう感じでした。
やっていく中で自分のやりたい事業領域とかは見えてきたタイプなんですよね。

よく起業は手段とか、社会を良くするために起業しましたみたいに言われることもあるけど、これは好きじゃない(笑)
例えばイチローも、世界の子どもたちに夢を与えるために野球という手段を選んでいるとは言わないし、野球が好きだからやってると思うんですよ。

お金が欲しいとか有名になりたいとか、歴史に名を残したいとか、偉人になりたいとか、起業したい理由なんてそれでいいと思うんですよね。もちろん、理由によっては事業ピボットしちゃいそうとか大きくならなそうとか投資家は言うと思うんですけど、自分に正直にやった方がサステイナブルだと思います。
自分は「起業したい」とか、「ビジネスをはじめたい」っていう謎のワクワク感ではじめていいし、何か言われても気にする必要はないって思います。

ただ、大事なのは本気でやること。
自分の人生でいうと、空手を本気でやった結果、さっきの
結果 = 才能 ✕ やり方 ✕ 努力
で、好き嫌いや得意苦手などを含んだ才能以外の変数をマックスにして、このフィールドは合わないってことがわかりました。
学生起業家一社目の時にも、自分はどんな分野でもできると思ってヘルスケア領域で始めたけど、意外と好きじゃない領域があるんだと気付く機会になりました。
自分がホントは何がやりたいかとか、何が得意なのかは本気でやらないとわからないので、本気でやりきれる領域を見つけてPDCAを回してほしいと思います。

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【AI CROSS株式会社 原田 典子さん】何が起こるかわからない時代、今まで以上に女性の力が必要になる

海外生活が長かったからこそ見えた日本社会の課題

―起業のきっかけとAI CROSSについて教えてもらってもいいですか?(近藤)

海外生活が長く、小中高とドイツで、大学だけ慶應に行き、ドイツの会社に入ったんです。アメリカに行きたかったので、ベンチャーに入ったのですが上手く行かず、いろんな技術のスタートアップと提携して日本に独占販売権を持ってくるビジネスをしていたんです。その時に、副業で富裕層向けにワインを売るっていうビジネスをやって、それが事業を立ち上げた1社目です。

向こうで、結婚して、出産して、日本に帰ってくることになったのですが、帰ってきた時に、カルチャーギャップが相当激しくて、とても働きにくかったんです。
海外にいると、アイデンティティをすごく意識して、日本が好きになるんですよね。もう結婚もしたし、今度は日本に骨を埋めようみたいな感覚になった時に、自分が貢献できることをやりたいなって思って、生産性を向上することで私みたいな女性が、働きやすい国にすることを目的としたビジネスを立ち上げたっていうのがきっかけです。スマートな社会をっていうので、スマートワーク、スマートライフで、ビジネススタイルをスマートにしていき業務を効率化して、アウトプットの最大化を図ることを目指しています。

―もともと起業家になりたいという思いやきっかけはあったのですか?(近藤)

全くないんです(笑)
なりゆきっていうか、自分で全部決めて自分でやるっていうことじゃないと好きじゃないんだろうなっていう思いはあって、リスク取ってやるっていうのが好きなんだろうなっていうのは、後から気づきました。

―2015年に創業して、7-8年で上場されてますが大変だったことや嬉しかったことなんかのエピソードがあったら教えてもらえますか?(近藤)

私、割りと強いんですよね(笑)
生まれが福岡で、それから東京、ドイツ、ニューヨーク、シアトルって、転々としているんです。飽きっぽいのもあるんですが、ずっと同じ環境にいたことがないから、変化が当たり前になっていて、辛いこととか感情の起伏があまりないんです。
もともとそういうのに対応する体質になっているみたいです。(笑)
強いて言うなら、以前の会社で事業を分社化した時に、システムをつくったエンジニア4人のうち3人が辞めて、競合をつくっちゃったんですよね。後から考えるとあの時はしんどかったけど、その時はもう必死でハードワークだったなっていうのはあります。

よかったことは、やっぱりIPOです。
今でも覚えていますけど、メインの担当部長に「できると思わなかった」って後から言われたくらいボロボロだったと思います。
よく出来たなって感じです(笑)
あの時は、ここ数年で一番泣きました。引っ張ってきたナンバーツーがスゴい男泣きしていて、それを見てよかったなって私も泣いちゃいました。

多様性を受け入れることで組織は強くなっていく

―すごくいい話ですね!
 最近は女性起業家も増えていますが、起業家にとって女性だから男性だからってあると思いますか?(近藤)

今はだいぶ男女平等みたいなのありますけど、なんだかんだ女性の負担は多いと思います。
子育てや育児の時間の配分もそうじゃないでしょうか。
女性を贔屓するのは逆贔屓でしょ、みたいのもありますけど「女性なのに頑張ってるよね」とか「女性なのにスゴいね」って言われ続けること自体が、そういうレッテルを貼られてるんだなって思います。

―学生起業家のメリットやデメリットについてどのように思っているか教えてもらえますか。(近藤)

メリットは、あれですよね…無謀というか、若ければ若いほど無茶ができると思います。さすがに今は上場したので、チームをつくって戦略やリスクを考えてやっていますけど、私自身が、考えるより飛び込んでやっていくタイプだったので若い時に経験を積めるっていうのはいいですよね。
あとは100%時間を注げる、家庭とか仕事もないので、そういう意味ではメリットあると思います。

デメリットは、私も日本に帰ってきた時に感じたのですが、見えないマナーみたいなものがあるかなって感じます。
特に、大手との取引とか自治体とか政府とか、そういうところと取引しようと思うと、難しいところがあると思います。
あとは、だいぶ減ったのかもですが、一度失敗するとレッテルを貼られたりとかですかね。

―最後に、欧米の方が男女平等って進んでいるんじゃないかと思うのですが、日本の中で女性起業家が必要なのか、どういうマインドセットをみんなが持ったらいいかってありますか?(近藤)

女性起業家は絶対に必要だと思います。
人口がこんなに減っているのに、女性の労働力を使わないっていうのはないと思います。
これから何が起こるかわからない時代だから、ポテンシャルを引き出すというか、その人の持っているポテンシャルを引き上げた上で、似たような人たち同士より、色んな人が掛け合わさった方が未知のパワーが出てくると思うんです。最初の立ち上げは少人数で、阿吽の呼吸で行けても、大きくしていく中で色々な考え方、人材で多様性を入れるほうが大きくなっていけると思います。

女性がトップでも男性がトップでも、いい悪いはないと思いますが上場企業で見ると、女性のトップは1%しかいないんです。
昔は、お父さんが働いてお母さんは家にいるっていう家庭が多かったので、女性が活躍って頭の理屈でわかっていても、価値観でなかなか変えられないんですよね。
そこは一定の時間がかかるのはしょうがなくて、今の世代の方たちが大人になったらだいぶ変わるだろうなって思います。
色々な価値観の人がいて、子供を産みたい人も産みたくない人もいて、それを社会が許容して認めあえる形になっていくといいかなって思っています。

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【株式会社i-plug 中野智哉さん】運が来るまで諦めずやり続ける

事業内容と、起業のきっかけを教えてください

OfferBox(オファーボックス)という新卒のダイレクトリクルーティングサービスを運営してます。規模でいうと、24卒学生は8月末時点で23万人以上が使っていて、企業も登録が15,600以上です。新卒採用をしている企業が35,000くらいといわれているので、3分の1くらいのシェアを持っているツーサイドプラットホーム事業です。

もともとの経歴は、インテリジェンス出身ということになっているんですが、子会社の歩合の営業だったんです。

在籍中は求人も有料紙からいわゆるフリーペーパーのフリーミアムモデルに変わったりとか、ガラケーからスマホに変わっていってIT化の時代による変化の過程を経験をしました。

ただ人材業界はIT化が遅くて、例えば当時スカウトメールって1通ずつ送ったら、反応率がメチャクチャ高いことを業界にいる人はみんな知っていたんですが、時間がかかりすぎて誰もやっていなかったんです。
あとは当時リブセンスが出てきて、成功報酬という概念を持ち込み瞬く間に上場まで行ったので、自分もITと成功報酬を合わせたサービスで起業しようかなって思ったんです。

実は父も起業家だったので、起業に対する気持ちはずっとあったんですが、まともな大学生じゃなかったんで (笑)
歩合の会社やインテリジェンスも、新卒で入っていなくてその前に10か月ほどニートしてるんで起業と一番遠いところにいました。

でも起業への気持ちだけ残ってて、営業のコツもつかんで仕事漬けの毎日だったタイミングで、リーマンショックとなり仕事が減ってしまったのです。仕事以外にやることがなくなったので、グロービスに行ってから、起業しようって思い、そこから本気で勉強したんです。

グロービスは起業するためにいったんですか?何かきっかけでも?(近藤)

自分は子会社に所属していたので出世の道が狭いんですよね(笑)

当時30歳くらいで、50歳まで死ぬほど売り続けたら上がれるのかな…みたいな感じで…。

グロービスに行って起業をしようと思ってたんですが、当時は人材系だけは未来がないからやらないって決めていました。そんな時にTwitterとかFacebookが出てきて、それに影響されて大学生向けのSNSで起業しようと思いました。

― 起業してから苦労した経験、エピソードを教えてもらえますか?(近藤)

一番恥ずかしいなって今でも思うのは、SNSの事業も結局開始に踏み切らず、日銭を稼ごうと人材紹介を始めたのですが20日で撤退してるんですよ。

うまくいかなかった理由は、お客さんの声を聞いてなかったからですね。机上の空論ばかりで、実際動かないからマーケットフィットしているかどうかもわからず、しかも声を聞くのも億劫になっていました。

その後OfferBoxをやってからは地獄のようにお金がなかったです。大阪府の雇用促進と創業支援の受託事業を受けることができてなんとか食いつなげました。

そんな厳しい間もOfferBoxをやり続けていたんですが、そんな時に神風が吹いて…。

何があったんですか?(近藤)

就活のスケジュール変更があって、選考解禁が後ろ倒しになったんです。アベノミクスやオリンピックで企業の景気はよくなったけど、経団連の指針で大手企業は時期を守らなくてはいけなくなったのです。

その頃に、オファー型も他社が複数社入ってきたんですが、うまくいかなくて全部撤退していったんです。それで数万人の登録希望があるのに誰も居ないっていう空白の市場ができました。

そこでOfferBoxの売上が、その1年で売上10倍になったんです。1,000万が1億に。

それで単年度黒字になって、そこからはずっと右肩上がりです。
就活解禁が遅れたのも、予想していた訳ではなく、ラッキーでしかないですけど、結局は粘って運を引き寄せたのは、諦めなかったからなんです。

― 学生起業家に話しを戻すのですが、学生起業家をどう見ていますか?(近藤)

起業したいと思っているなら、早く挑戦したほうがいいと思ってます。

社会人経験やスキルは後からでも学べるけど、運はいつ降ってくるかわからないですからね。自分はひと通り失敗して、33歳で起業して、3年くらいで運にぶつかってるんですよ。とても運がいいでしょ(笑)

運は、誰にでもくるんですよ。気づくかどうか。

気づき方はね、なんでもいいと思うんですよ。10年とか守り続けるように続けていたら何か感じるものができるような気がしてます。
自分は3年前から毎週2時間、思考の整理っていう時間を取って、Slack、LINE、メッセンジャーをオフにして、何かテーマを決めて考えるというのを3年ぐらいやっています。そうすると自分の中でフラットなところができて、変化に対して敏感になりやすいんじゃないかな。

運って偶発的なんで、本とか論理的に整理された情報の先には絶対ないです。いろんな人に会うとか、行動して偶発的な出会いとかが運に繋がったりする。こういうことをやったらいいってことを真に受けてやり続けると、偶発性がどんどん削れていくので、自分のルールで決めたものをずっとつき詰めていくと、運にも出会う確率が上がるかもしれないと思います。

学生起業がブームですが、彼らに向けた応援とかメッセージを頂きたいと思います。(近藤)

学生起業がブームって言っても、まだまだ滅茶苦茶レアキャラですよね。物事を成すのが好きな人もいるし、単純にお金持ちになりたいとか、憧れが欲しいとかモテたいとか色々あるけど、突出したものになりたいっていうのは、多分一緒だと思うんですよ。そのなかで成功するには逆張りしかない。

あとは資産を形成するとか、みんなから承認されるとか、やりがいを持つとかって起業すると経験できるのは間違いないです。確かにリスクも伴いますが、学生のうちに経験する価値がそれ以上にあると思っています。
チャレンジをしたい人であったら、ぜひ挑戦して欲しいですね。

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【Branding Engineer 高原克弥さん】常に自分が最高のパフォーマンスを出せる状態にいることが大事

いつかは起業したいと思っていた、共同代表である河端保志氏との出会い

ー起業を志したきっかけを教えてください

小学生の頃、父がカメラマンでした。父は撮影をすることは得意だけど編集が苦手で、撮影した写真のレタッチを家で手伝う機会があったんです。いろいろ教えてもらいながらAdobeの Photoshopを触っているうちに、自分でウェブデザインがしたいと思うようになりました。最初はゲームを作ろうと思ってPerl(パール)という言語を使っていて、中学生の頃は自分で作ったゲームをずっと運営していました。300人ほどユーザーがいて、常時40~50人くらいログインしているような感じでしたね。

―中学生で!?すごいですね…!(近藤)

中学生の時はあまりお小遣いをもらえなかったので、お金がほしくてバイトをしようとコンビニに電話をかけたりしました。もちろん、中学生はバイトすることができないので断られて(笑)。そこで、ネットで稼ぐしかない!と思ったんです。ゲームの方はサーバーの問題で300人くらいまでしか人を集めることができなかったので、それでは商売にならないと思って掲示板のようなものを作りました。内容としては、音楽情報サービスのようなものです。それが結構伸びて、中1から初め高3まで月間200万PVほどになり、アフィリエイトや広告収入でまあまあ稼いでいましたね。

―まあまあどころじゃない気が(笑)。高校生にしては大金ですよね!

はい、社会人の何倍とかのお金になって「これはもう人生勝ったわ!」って思ってました(笑)。しかし、大人の圧力でそのサイトは閉鎖することになって…。競合のサービスをやっている会社が本気で圧力をかけにきて、当時高校生であり、対抗する知識がなかった自分はメンタルが崩壊するレベルに追い込まれました。結局、やむをえずサイトは閉鎖することになりました。このことがきっかけで大学は法学部に進学しました。でも大学に通う頃にはサイトも閉鎖していたので目的を失っていて、弁護士になろうとか教師になろうとか色々やってみましたがどれもしっくりこなくて、サークル活動に明け暮れていました。

 そういった生活を送ったあと、大学3年生の頃に家入一真さんの講演を聞いて「このまま大学生活をただ過ごすだけでは負けてしまう!」と感化されたのをきっかけに、3社ほどの手伝いを始めました。しかしその3社が順番に倒産してしまって全部ダメで。そこで、「次はもう自分でやるぞ!」と思い起業したのが今の会社です。もともとどこかのタイミングで起業しようとは思っていましたが、いつするかなどは考えていなかったです。ですが、大学4年生のときに共同創業者である河端と出会って一緒に起業しました。この、「起業しよう!」というのが1月くらいでお互い就職活動を終了して企業から内定をいただいていた後だったため、内定先にも謝りにいきましたね。

―内定を蹴ってまで起業しようと思った決め手はなんですか(近藤)

河端と会ったタイミングですかね。起業しよう!と思った時に、僕は営業をしたことがなかったので営業ができる人を探していました。それで、河端に営業をやってくれと頼むと「俺も起業しようと思っていた」と言われて一緒にやろうとなったんです。

―起業して今までで1番嬉しかった出来事、大変だった出来事はなんですか

上場したことはやっぱり嬉しかったです。

―半袖短パンで撮っていた写真が印象的で覚えています!(近藤)

創業したときから上場したら半袖短パンで写真を撮ろうと決めていました(笑)。上場準備期間が大変だったからこそ、上場したときは本当に嬉しかったです。会社でいうとその3年間は創業以降最も成長しなかった3年間でしたし、競合も多い歴史ある業界だからこそ大変でした。それもあって、「もし、上場できなかったら一生後悔する3年間だね」と言っていたくらいでした。だからこそ、それが叶った日というのは感慨深いです。

  辛かった出来事は、2期目の終わりに一度組織が崩壊したことです。ちょうどその時、創業期からずっと展開していた受託開発をやめて、ビジネスモデルを切り替えるタイミングでした。僕らのマネジメント不足でインターンや業務委託の30人くらいが全員やめてしまい、インターン生1人と僕と河端の3人になりました。河端との関係もそのときが一番ギクシャクしていたと思います。信頼はあるけれど、「これからどうする」や「お前もやめないよな」という不安も、言葉にこそしませんがお互い感じていましたね。

共同代表だからこそできる自分が最高のパフォーマンスを出せる状態作り

―高原さんが考える、起業家にとって「重要なこと」や「起業家の心得」とはなんですか

とにかく起業家の精神が安定していて、大きなリターンを得られるチャレンジに状況を持っていくことができるかが大事だし、常に「もし、それができないなら就職したらいい」と頭に置いておくのもいいと思います。常に自分が最高のパフォーマンスを出せる状態を作るというのは大切にしたほうがいいです。

―その状態が作れるのは共同代表だからこそというのもありますか(近藤)

 ありますね。人間なので弱気になるときはあるけれど、2人で同時にダウンすることはほぼないです。どっちかは「どんどいこう!」という状態なので、弱気になっている方に「ダメじゃん」と声をかけることで僕らは目覚めることができます。僕たちは、友達としてめちゃくちゃ仲がいいわけではなく信頼し合ったビジネスパートナーだからこそ仕事のパフォーマンスが、よりはっきりと見えます。

―プライベートに介入しすぎないからこそ、お互いの仕事での姿がよく見えるんですね。(近藤)

ー学生起業家のメリット、デメリットはなんだと思いますか

環境がいいのは大きなメリットではないでしょうか。僕らが起業した時と比べると、最近はサポートしてくれる人や投資してくれる人も増えたし、優秀な人が評価されやすい環境になっていると思います。だからこそ、自分の強みを活かして自分のいくべき方向を見誤らなければ、学生起業家でも成功しやすいのではないかと思います。

デメリットはやはり就労経験がないことですかね。ビジネスマナーや社会、ビジネスについて知らないために危ないこともあったと僕の過去の経験からも思います。リビングデッドしやすく、個人勝ちしやすい環境になったとも言えるのでそこは気をつけないといけないとも思います。

―ここまで色々お聞きしましたが、ズバリ学生から起業するべきだと思いますか

もちろん、起業すべきだと思います。学生起業は、先述した通り環境も良いし合理性があります。もし、失敗したとしても自分自身の価値は上がると思うので攻め続けられるのであれば絶対やった方がいいです!

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